元々はノーマルのスカイライン、HCR32GTS-tであった。

それにFRP製のオーバーフェンダーを取付け、GT-R仕様としていた。

 

 

 

 

 

サイドステップと前後フェンダーが、ひとつながりの構造となっているエアロ(FRP)である。

 

 

 

 

 

依頼の主たる目的は、純正品のGT-Rオリジナルパネルを使って、GT-Rのボディに改造するということ。

 

4WDではなく  FRのGT-R。

GT-R仕様ではなく  GTS-R。

見かけ倒しではない 拘りのフルコンプリートへ・・・

 

 

 

エアロを切断すると、オリジナルのパネルが見える。

 

 

 

 

断 面

オーバーフェンダーが被さり、2重になっているのがわかる。

 

 

 

プラスして各部の錆修理も・・・

 

 

 

 

 

 

 

過 去 修 理 跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「  切 り 貼 り 」

2センチ幅くらいの錆部分を切り取って、新しい鉄板を溶接していく。

 

 

 

 

溶接完了。

手に持っているのが、切り取った部分のパネル。

 

 

 

 

フ ロ ア パ ネ ル

 

 

 

 

 

過去修理の溶接箇所

 

 

 

「  過 去  」

 

こういうケースの場合、修理をした工場を責めたり、嘆いたりする人が多い。

しかし、このオーナーは一切、そういったことを口にしなかった。

私は、それを不思議に思い、オーナーに尋ねてみた。

彼は顔色ひとつ変えずに、こう言い切ったのだった。

「 あの時は、あの時で、ホントよくやってくれたんですよ 」

 

 

 

 

どうしたら、そのような慈愛に満ちた心境になれるのだろうか・・・

私なりに、少し考えてみたくなった・・・。

それを後ほど、物語にして書いてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

R32系クオーターパネル交換時におけるパネル3枚合わせ箇所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「  技術的な見解を補足 」

 

GTSの鉄製タンクからGT-R用の樹脂タンクに変更。

タンク容量アップに伴う固定バンド取付位置の変更及び、周辺部のパネルの補強は必須。

GTSとGT-Rとでは基本骨格・プラットフォームはおおよそ共通ではあるが、

細部での補強パネルの入り方が違うところがある。

 

 

容量アップされたタンクは樹脂製とはいえ、満タン状態になればそれなりに重く、

安全上、重要な箇所であるため締め付けトルクも高く、それだけに周辺パネルへの負担は大きい。

万一、金属疲労などが生じ走行中にタンクが外れた場合には重大事故になると考えられるため、

単純な交換レベルで済ますことはロングタームで考えなければならないこのクルマには相応しくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『   最 期 の 楽 し み   』

 

 

*  この作品はフィクションであり、実在の人物・団体などとは一切関係ありません *

 

 

 

「目には目を」 という考え方では 世界中の目を潰してしまうことになる

Mohandas Karamchand Gandhi   マハトマ・ガンディー

 

 

 あれから十年が経つだろうか・・・

忘れたくても忘れられない、あの事故から。

それは、あまりにも突然で、状況は筆舌に尽くしがたいものであった。

バイクで走行中、横から信号無視のクルマに突っ込まれ右足を骨折した。

骨は砕けていたため手術が必要であった。

切開し、骨と骨をチタンのプレートでつないでいった。

しかし術後の回復が芳しくなく周辺組織が細菌により化膿、悪化していった。

最悪の場合、足を切断しないと組織が腐り、雑菌が繁殖し血流に乗って全身に回れば、

命の危険もあるということだった。

切断ということは、大好きなクルマに乗れないことを意味した。

怒りと絶望が入り交じり、見るものすべてに腹が立ち、見るものすべてに泣けてきた。

「それじゃあ・・・ 運転もだけど、歩くこともできないじゃないか!」

病院のベッドを囲む白い鉄の柵を殴りつけた。

何度も殴り続けているうちに拳の皮膚がめくれ、ベッドシーツに赤く滴っていった。

痛いなどと、たいして感じはしなかった。

その程度の傷など、今のこの気持ちを紛らわすことにもなりはしなかった。

左右の頬を伝う熱い涙は、果てしのない無念さと、とめどもなくわき起こる怒りの現れであった。

入院してから二週間が経過した頃になってようやく見舞いに来た加害者は、

保険会社の示談担当から諭されたからなのだろう、仕方なく出向いてきたようで、軽く頭を下げ、

見舞いの菓子箱を置いただけで、ロクに目も合わさずそそくさと帰っていった。

はらわたが煮えくりかえる思いに、やりきれなくなった。

もし刃物が側にあったならば、彼の足を刺してやればよかったのかと思うくらいだった。

その後、彼が二度来ることはなかった。

 

 

 

 

 見舞いに来てくれた妻の慰めの言葉にも、わざと聞こえないふりをして無視をした。

卑劣で愚かなことではあったが、それが絶望の渦中に巻き込まれている者の典型的な姿であったのだろう。

オレ・・・もう歩けないんだぞ・・・ オマエ・・・わかるか・・・?

働けないんだぞ・・・

オレ・・・

・・・稼げなくなった男に、いったい何の価値があるっていうんだ!

語気を荒げてしまった。

三歳になる娘がベッドの横でオレを見つめている。

状況がよくわからないからなのか、それとも子供なりに何か感じるものがあったからなのか、

無邪気に遊んでいたピンクの服を着たウサギの人形をオレの方に向けて見せ、

あどけない表情で可愛く喋った。

「 ねえ、パパもいっしょにあそぼう 」

瞬間、息が止まるほどに胸がつかえ、

見苦しいほどに歪んでいたオレの心はギューっと底から絞り上げられるようだった。

自分の心の狭さ、不甲斐なさを悔やみに悔やんだ。

泣けて、泣けて・・・、そして泣きに泣けて・・・

それでも・・・また泣けて・・・

男でも、こんなに涙することがあるのか、悔しさでとまらないほどになることがあるなんて・・・

娘のことを思い出せば、今の自分は情けないほどに惨めであり、それはもう堪らない・・・

オレは失望感に歯止めがかからず、どんどん深く落ちていくのだった。

妻と娘が帰った後、足を固定されたベッドの上で夜を泣き明かし続けた。

切断・・・

オレが何をしたっていうんだ・・・

非がなく、こんなことになるなんて・・・

 

 

 

 

 再手術は賭けのような手術になるらしく、

万一の事態が起きたとしても病院に責任を問わないといった内容の同意書を渡された。

金属プレートが入った腐りかけの足を切り開くということは想像しただけでも怖い。

身体を賭けるということは、人生を賭けるということだ。

しかし、もはや医師が説明するままに決断せざるを得ない状況になっていたオレは、

書き出しこそ躊躇ったものの覚悟を決め、後は勢いで住所と名前を書いていった。

書き終わって顔を上げたとき、書面に涙が一滴落ち、書いたばかりのインクの文字が震えるように

滲んでいった。

横にいた妻がバッグからタオル地のハンカチを取り出し、文字の上にそっと当てて拭う。

そして、キリッとした表情でペンを持ち、続柄の欄に妻と書き込み、

妻の名前を一文字ずつ念を入れるかのようにして丁寧に書いていった。

 

 

 手術は六時間を要して終わった。

手術自体は成功したと言っていいらしい。

しかし、クルマを運転することは一生出来ないだろうと医師に言われた。

なぜこんなにも絶望的な言葉を軽々しく言えるのだろう。

責任の所在というか限界というか、患者に淡い期待を持たせない方が良いと思うからなのだろうか。

希望を挫くことになろうとも現実をありのままに知らせることが仕事なのはわかるが、

その言葉だけは聞きたくなかった。

妻は何も言葉を発せずオレの手を両手で強く握りしめながら、ゆっくりと小さく頷き続けていた。

その手のぬくもりが、オレのことを信じてくれているようで、とても心強く感じられた。

男は、女よりも精神的に弱い動物なのかもしれない。

会社という経済組織に属し日々数字で結果を示すことを義務づけられ、また、そういう義務感に

感化されやすいからなのか、「信じる」という力が女性よりも劣っているのかもしれない。

経済社会においては「信じる」などという根拠のない概念は通用せず、「信じる」では一円も生み出さない。

一方で育児のような家庭生活においては、逆に数字や理論では通用しないことばかりだ。

たとえば子供の夜泣きひとつとっても、そうだろう。

泣いている子供が欲しているのはミルクではなく、安心感なのかもしれない。

・・・・ぬくもりという安心感・・・・

妻という女性が秘めている深遠な力のようなものに、オレは初めて触れたような気がした。

 

 

 金属プレートという補強が入っているものの、弱った筋肉と固着した関節のために、

足首を曲げることがほとんど出来なくなっていた。

後はリハビリでどこまで回復できるかといったところだった。

毎日、回復センターに行きトレーニングをするのだが、筋が切れるような痛さに耐えられず、

センターに通うのも嫌になり、だんだんと家に閉じこもりがちになっていた。

マンションの地下駐車場の奥、一番端がスカイラインGTSの住み家だった。

退院したものの、このような不自由な身では特にすることもなく、

日がな一日、駐車場に座り、GTSを眺めてばかりいた。

もう乗れないのか・・・

弱気が弱気を呼び、ますます気持ちが暗くなっていった。

諦めたとき、目標を失ったとき、人はなんて弱いのだろう。

オレ・・・もうダメだ・・・そう感じていた。

食事も進まず、だんだんと体調が悪くなっていった。

縫合した傷口に良くないとわかっていながらも、毎日酒を飲んでいた。

現実に向き合うのが辛くて仕方がなかったから、酔わずにいられなかった。

そうしているうちに身体だけではなく、精神的な自由までも失っていった。

妻だけが頼りであるにもかかわらず、妻に当たり散らし、偉ぶった。

そうかと思うと逆に自己卑下したりと心が不安定になっていった。

一番失っては困る、一番身近なものを、一番粗末に扱ってしまう・・・

それは、日々生活を共にするがゆえの甘え・・・

オレ自身の精神的な幼さなのかもしれない・・・

 

 

 

 後遺症もあり、それなりの補償は出るらしいが、それでオレは一生を過ごすのか・・・・

そんなことを来る日も来る日もGTSの前で考えていた。

ある日、妻に言われた。

ねえ、もしかして・・・、あなたひとりが被害者だと思っている?

あなたがどれだけ周りに負担をかけているのか、わかっているの?

・・・・。

今のオレにはキツい言葉だった。

カッとなって思わず激しい怒りが広がった。

妻に対してというわけではなく、この世の中全体が憎く思えた。

・・・信号無視をしたにもかかわらず、ロクな謝罪もしてこない加害者・・・

・・・杓子定規に事故処理を進めようとする保険会社・・・

・・・それがまかり通っている社会に腹が立つ・・・

しかし、相手を非難するということは相手に依存することを意味するのであって、

妻の発した言葉は甘えたオレの弱さを真正面から射貫いた言葉であった。

・・・歩けないからといって妻に駄々をこねているばかりでいいわけがない・・・

わかっていたはずだったが、生きる方向性が見えなくなった今、どうしていいのかまったくわからなかった。

だから、妻に返す言葉など思い浮かばなかった。

妻の発した言葉に打ちのめされたオレは何も喋ることができなくなり、

GTSのキーだけを持って松葉杖を突きながらフラフラと部屋を出ていった。

エレベータで地下の駐車場に降り、寝間着のままコンクリートの床の上に横たわりGTSを見つめていた。

陽の当たらない駐車場の床は氷のように冷たかった。

・・・骨身に沁みる・・・

心身ともが、その言葉の通りであった。

 

 

 

 乗りたい・・・

フードを開け、外してあったバッテリーターミナルをつなぎ、エンジンをかけてみる。

ハイカムのバラツキのあるリズムが静まりかえった夜の駐車場に低く響く。

GTSに乗りたい・・・

オレの心の深いところ・・・その一点を突き刺すかのように鋭く回る高回転サウンドを聞きたい・・・

歪んだ心に巣くうモヤモヤした汚れを高速の風圧で吹き飛ばしたい・・・

そう想像するだけで心が昂ぶり、心拍数が上がってくるようだった。

オレ・・・ まだ・・・ くたばるわけにはいかねえよな・・・

背中から頭にかけてドッと熱い血潮が巡るのを確かに感じた。

乗るんだ・・・

乗ってやるんだ!

オレ・・・必ず。

涙で滲む眼でGTSをじっと見据え、誓った。

 

                

 

 

 それからのリハビリは壮絶を極めた。

週に一ミリずつくらいのペースで筋肉を引き裂くように伸ばしていく。

忍耐・・・忍耐・・・地道な努力を続ける・・・

ようやく進むべき方向性が見いだせたオレは回復センターに真面目に通い、リハビリに専念することにした。

足首の可動域を広げる運動をし、神経を通わしていく。

・・・今のオレに出来ることはこれしかない・・・ 

人生の流れとは、意識の微妙な変化をきっかけにして大きく変わっていくようだ。

ちょうどその頃、保険会社の担当者が代わった。

毎週のように自宅まで見舞いにきてくれてはリハビリの進捗状況を尋ねていった。

最初は示談のための姑息な戦法かと疑ってかかっていたが、熱心さが前任者とは明らかに違った。

オレのリハビリ応援団のような感じで、牛の歩みのようなリハビリ生活を共に一喜一憂してくれる

間柄になっていた。

彼が来ない週は、どこか寂しく思うくらいだった。

足の痛みはまだ残っていたが、加害者のことなど、もう、どうでもよく思えるようになっていた。

それは、オレの意識の方向性が加害者への憎しみから、自分の身体の回復のことに向けられていったからな

のかもしれない。

やがて松葉杖を卒業し、なんとか自力で歩くことが出来るようになり、

四年ぶりに職場に復帰することも出来た。

退院してすぐの頃、松葉杖で職場に挨拶に行ったとき、もうオマエは終わったなというような目つきで

見ていた上司が、・・・信じられない・・・というような顔で茫然としていたのが面白くも思えた。

保険担当のその彼とは、今でもお互いの家族写真が入った年賀状のやりとりをしている。

 

 

 

奇跡は起きる

起きる者には起きる。

 

偶然ではなく

意志を持ち、

湧き上がるすべての感情を受け入れた者の元に。

 

 

 

 

一方で・・・、人は脆くも崩れる時がある。

希望が打ち砕かれたとき、目指す方向を見失ったときに・・・

 

 

 

 

 当時を振り返って妻が言った。

・・・将来の生活や補償のことよりも、生気を失った、曇った表情のあなたを見ているのが辛かった・・・。

生活はちょっと苦しいかもしれないけれど、お互い輝いて生きていく方がいいと思わない?

私はそう思っているわ。

そんな妻の言葉にハッと気付かされたような気がした。

どちらが金銭的に損か得か、どちらが正しく、どちらが間違っているかという価値観の中でずっと生きてきた

オレにとっては思いもつかない新しい人生観を示されたようだった。

・・・どちらが輝いて生きていくことになるのか・・・

 

 

                     

 

・・・・ 完璧な肉体を持つ者がいたとしても、いずれ老いていく

永遠の命を持つ者はこの世に一人も存在せず、誰もが遅かれ早かれ死んでいく ・・・・ 

オレは、それがいくらかでも身をもって実感することができたからだろうか、

怒りを昇華させ、恨みを乗り越えることが出来たのかもしれない。

恨み続けていくのも人生のひとつの道だと思うが、オレはそうすることを止めにした。

事故のことを思い出すことは今でもたまにあるが、今となっては責めるものが見当たらない。

 

 

 

 この身体・・・

金属プレートが入った、この身体・・・この身体でオレは前を向いて生きていく。

忘れたい過去を乗り越えて。

生まれ変わったオレと、生まれ変わったGTS。

オレもオマエも切った貼ったのカラダ。

でも、悔やんじゃいない。

大事なことは、今、オレたちがどうあるかってことだから。

今日も明日も、こうやって一緒に走れるってことが何よりのことなんだ。

 

 

 

 

 オレは、ある日、娘に言った・・・

いつかパパが死んで火葬場で焼かれた後には、パパの骨とチタンのプレートが残るからね。

骨は白い色をしているけれど、プレートの色って何色だと思う?

えっ、ピンク!?

娘の好きな色はピンクであって、なんでもピンクと答えるのであった。

そうかあ・・・  ピンクかあ・・・

楽しみだねえ・・・

ウン、たのしみい〜

 

 

 

 

 様々な思いが染み込んだこの身体・・・

悔しさ・・・  悲しみ・・・ そして、喜び・・・ 

オレの思いのすべてが炎で熱せられ、最期に残るものは果たして何なのだろうか・・・

それは・・・・・

妻と娘、それぞれの心に映し出される家族の楽しかった日の想いの欠片であって欲しい。 

その一片をひとつずつ・・・ ひとつずつ・・・・、これもパパだったんだねと、焼け残ったもののすべてを

思い返しながら拾っていってくれたのならば、オレという存在の最期として、これ以上の喜びはないだろう。

 

 

 

 

・・・生きる楽しみ・・・

妻が昔言った、輝いて生きるっていうことは、こういうことなのかもな・・・

休日の夜、久しぶりに妻とふたりで食事に行った時、ふとそう思った。

そして、ワイングラスを掲げ、妻の眼を見て言った。

「 GTS-Rも君も、一生モノ 」

・・・・・・。

妻が軽く笑う。

なんで、そこで笑うかなっ!?

オレ、本気なんだけど・・・。

 

 

 

「  最 期 の 楽 し み 」

 

E N D

 

 

* この作品はフィクションであり、実在の人物・団体などとは一切関係ありません *

 

Special Thanks

GTS-R Owner

 

Location

Itarian Restaurant  IL PINOLO LEVITA YOKOHAMA

Coast of  Yokosuka   ・・・ and   Minami-bousou

 

 

Produced by   y o s h i h i s a

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ と が き

 

 一生モノというのは一生をかけて手をかけていくということであって、一生安定しているということではない。

日々刻々変化する中においては様々な事象が予告なく降りかかる。

病や怪我もそのひとつだし、もちろん事故もそうであるだろう。

自らの意志では避けられない、それらが仮に必然的であったと捉えたならばどうだろう。

いくらかでもモノの見方が変わるような気がするのは、私だけであろうか。

 一方的に責めたてるのではなく、事象に隠れた意味を見出し意識の方向を変えることによって対処していく。

もし、それが出来るようになれば、この物語に登場する主人公のように奇跡を起こすことが出来るのかもしれない。

少し物語を振り返ってみると、主人公は事故をきっかけにして、物事の新しい見方、

人生観と死生観を身につけていく。

もちろん、そこに至るまでには深く苦しみ悩むのだが、その回復のきっかけは妻や娘とのつながりと、

もうひとつの心の拠り所となっていたクルマへの愛着から見出せたものであった。

それがやがて意識の方向性を変え、諦めから脱却し、奇跡的な回復へと進む。

もし事故に遭遇しなかったならば、それはそれでまた違う人生を歩むことになっていたのだろうが、

人生として、どちらが良いか悪いかを論評することは人智の範疇を超えていることであり、

そこから先は神や宇宙意識などと呼ばれるものが采配する領域になるのだろう。

 この物語から思うことは、人生上のすべてのきっかけは人との関わりがあってのことであり、

逆に言えば、心でつながらずに明るい道は開けないということでもある。

特に身近な家族は大切な存在である。

自暴自棄になってもおかしくない状況に置かれた夫と共に事故を乗り越えていった妻の姿は、やさしくも、強い。

それは逆境下においても夫を信じる気持ちを持ち続けたからであるが、

そのような妻と、まだあどけない子供との何気ない日常生活が困難に立ち向かうエネルギー源に火を灯していった。

そして、もう一度クルマに乗れるようになりたいという希望を発奮材料として回復に専念していく。

夢と希望が、人をやる気にさせるのだ。

 夢を持ち難い時代なのかもしれないが、抗いようのない出来事を乗り越えGTS-Rと共に歩んでいく、

その輝く姿から感じるところが何かしらでもあれば、この物語の作者としてこの上ない幸せである。

 

y o s h i h i s a   2011 初秋

 

 

 

 

 

 

流れ続けてきた波よ

答えてはくれないか

オレの歩んできた道

描き続けてきた夢・・・

これでよかったんだよなと

 

 

 

 

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