◇ 自動車修理作品集 番外編  Part1 ◇

Auto Repair Gallery, yoshihisa style 2013. Extra Edition Part1

 

 

 

 航空関係の仕事をされているNさんに誘われて羽田空港へ行った。

どうしても私に見せたいものがあると、もう、たぶん一年以上くらい前から誘われていたのだが、

なかなか休みが合わず、今になってようやく、その機会が叶うことになった。

10時半に羽田空港の第1ターミナルで待ち合わせ。

いつもはカジュアルな格好のNさんなのだが、

この日はどうしたわけか無地の白いYシャツにネイビーの背広を着込んでいる。

「どうしたの今日は。めずらしいくない?」と尋ねてみたものの、「いやあ、まあ・・・それは後で・・・」と、

はぐらかして答えてはくれなかった。

どうやら私を驚かせたいということの他に、やはり何かもっと強い目的があるなと、すでに予感できていた

胸騒ぎのようなものを感じた。

 

 

 Nさんとその友人のKさんとの三人で羽田空港からモノレールに乗って移動した。

10分ほどして「整備場」という駅で下車すると、目の前に廃屋となった建物がある。

かつては賑やかに空港関係車両が通る、通用門のような役割をしていたものと思われる。

それは、随所に錆びが広がり、壁も剥がれが見受けられ、冷たい時の風に吹かれ続けたのだろう、

もの哀しさを漂わせている。

そこから歩いて5分くらいのところにJALの研修施設「安全啓発センター」があり、Nさんが入館の手続きを行う。

この時点でもまだ、これから何を見るのかをNさんは知らせてくれなかった。

胸騒ぎの予感は静かに、しかし、その鼓動を早めていた。

 

 

 エレベータで階を上がる。

入口の壁にかかっていたJALのトレードマークである鶴丸が、なぜか赤色ではなく白色であることに気づく。

そして、大きめの扉を開けて部屋の中に入る。

瞬時に張り詰めた厳かな気に胸をしめつけられ、眉間を寄せる。

やはり、そうであったか。

 

 

 

 1985年8月12日 午後6時56分。

日本航空123便(機体番号JA8119)が群馬県御巣鷹の尾根に墜落し、

520名の尊い命が失われたことは歴史に残る壮絶な事故であり、私もよく覚えていた。

その残存機体、遺品がここに展示されていた。

バラバラになったバーチカルスタビライザー(垂直尾翼)と胴体、いびつに折れ曲がった乗客座席、

そして事故の原因とされる圧力隔壁。

推定時速400キロ以上で激突したという、その破壊力の凄まじさを眼前にして驚き、立ち尽くす。

整然と並べられた無残な機体の残骸。

冷たく沈黙した破片の数々から発せられる辛い苦しみ。

にわかには信じがたい、破壊された機体の亡骸。

絶句するほどの悲痛さを感じえずには、その場に居ることなど、とてもできない。

心はじっと打たれはじめていた。

 

 

 

 後部圧力隔壁の破壊からバーチカルスタビライザー(垂直尾翼)の破壊、そしてハイドロ(油圧)系統が損傷され、

フライトコントロール系統、操縦桿とラダーペダルによるエルロン(補助翼)、ラダー(方向舵)、エレベータ(昇降舵)操作が

全く不能な状態になっていた。

しかも、コックピットからバーチカルスタビライザを視認をする事は不可能なため、バーチカルスタビライザーが破壊され

喪失している事までは把握出来ていなかったであろう。

そのような状況の中、完全にアンコントーラブル(操縦不能)になった機体を、それでもなんとか立て直そうと、

左右のエンジンの出力差の調整だけで機体のコントロールをしていた機長はじめコックピットクルーの必死の言葉が

CVR(コックピットボイスレコーダー)に記録として残っている。

 

「なんか爆発したぞ」

「ハイドロ全部ダメ?」

「ハイドロプレッシャー、オールロス」

「ジャパンエア123 アンコントローラブル」

「気合を入れろ」

「頭あげろー マックパワー! マックパワー!」 (*頭=機首のこと)(*マックパワー=Max Power 出力最大)

「これはダメかもわからんね」

操縦不能状態で焦る機関士や副操縦士を励まし、落ち着かせるために言ったのだろう。

「どーんといこうや!」

しかし、機長の苦しそうな荒々しい呼吸も聞こえ始めてくる。

極限が差し迫ってきたのだろう。

「おい山だぞ」

「コントロールとれ 右! ライトターン」

「山にぶつかるぞ ライトターン」

「レフトターン こんどは」

「がんばれー がんばれ」

「パワーあげろー ストールするぞ」

「頭上げろー パワー パワー

「がんばれー」

「フラップアップ フラップアップ」

「パワー!」

「頭あげろ!」

「パワー!」

「−−−−−−−。」

そして、異常発生から約32分後の午後6時56分30秒。

機長、副操縦士、機関士、そして客室乗務員12名の全身全霊、渾身必死の努力も空しく、123便は薄暗い山中に絶えた。

 

 

 

 

 機体の他に、乗客の方々のご遺品として腕時計が数本ほど展示されていた。

そのどれもが苦しそうに変形し、そのどれもが6時56分の位置で止まっていた。

それは最期の最期まで添い遂げた証であった。

腕時計とは、人生を共に刻むパートナーである。

人生が人の生きた時の流れを表すものであるならば、いつも行動を共にし、同じ時間を過ごしてきた時計には

人の思いが映し出されているのかもしれない。

これ以上の時を刻むことが出来なくなった長針が物言えぬとも無念さとして、それを指し示しているかのようだった。

6時56分という針の位置関係に、私は少し空想的な思いにかられた。

長針と短針。

永遠の別れが決定づけられた時と時の開き。

6時56分。

その24分前、6時32分の交わりを最期に、もう二度と会える時は巡ってこないのだと。

 

 

 

 

 もうひとつの展示、乗客の方々が遺された言葉。

不安定に大きく揺れ続けていたであろう機内で書き綴られた、家族への最期の言葉の数々。

「恐い 恐い 恐い」

「きっと助かるまい」

「きのう みんなと食事をしたのが さいごとは」

「子供のことをよろしく頼む」

「みんな元気で暮らしてください」

「本当に今まで幸せな人生だったと感謝している」

「さようなら」

迫り来る死の恐怖と不安に覆われる中で急ぎ書き残された、別れの書であった。

文字にこめられた家族への思いは、とてつもなく重く深い。

それは、この世で一番尊く、この世で一番温かく、この世で一番濁りがなく透き通っていた。

張りつめた冷たさと静寂さの中で私は打ち震え、滲み出てくる涙を歯をくいしばって抑えるのが精一杯であった。

 

 

 

 

 123便の墜落の原因は事故調査委員会の報告によると、過去の修理作業の不具合によるものだという。

墜落の7年前にボーイング社によって行われた後部圧力隔壁の修理方法に原因があり、

7年間の飛行で金属疲労(微小亀裂)が生じ、次第に亀裂が伸長、機内と機外との差圧によって破壊へとつながった。

私は見学を許された残り時間のほとんどを、その隔壁の現物、修理部分に見入っていた。

原因とされるその修理の不具合は外見からは全くわからない。

しかし、隔壁のカットモデルの断面を見れば、それは一目瞭然であった。

この修理方法では隔壁パネルの強度が不足するであろうことは十分に理解できる。

きちんと説明すれば、小学生にでも、その理由は納得がいくものだろう。

ただ外見からはわからないというところが、なんとも解せないものであり、失礼な言い方になるのかもしれないが、

巧妙にさえ思えた。

まさか、修理時間の短縮、コストダウンだったのか?

もし、そうであれば、ありえないこと・・・ 空を飛ぶ飛行機で。

なぜそのような修理方法を採ったのかについては、ボーイング社からの明確な回答は得られなかったようだが、

本社が指示した作業マニュアルどおりに現場の作業員が作業をしなかったという。

それは、飛行機とのスケールの違いはあるものの、同じ「修理業」に携わってきた私にとって他人事ではなく、

聞き流せないことであった。

なぜなら、このような強度軽視の見てくれの良さだけを求める修理方法は、自動車修理業界でもよくある事例だからだ。

勿論、すべての自動車修理工場がそうだとは言わない。

真摯に確実な修理作業をされている方がいることも伝え聞いている。

しかし、修理金額の安さをウリにした工法を、さも当たり前のように行っていることも確かなことだ。

 

 

 

 

 腐食した鉄パネルの代わりにFRP貼り付け。 (*FRP=ガラス繊維など・ファイバーともいう)

アルミテープなどで脆くなった腐食部分を塞ぎパテ盛り・・・。

それらは、どれも外見からは特に違和感なく仕上がっており、よく言えば、なんとも絶妙に仕上げてあるとも言える。

時代の流れからしてコストダウンの要求が高くなっていることは、私もよくわかっている。

しかし、低価格戦略の裏で何が犠牲になっているのか、その企業背景をもっとよく知っておくべきだろう。

クルマに墜落事故はないものの、衝突事故は誰にでも起こる可能性がある。

自分に過失がなくても、いきなり追突されたりして怪我をすることもある。

高速道路など相応の速度が出ていれば、想定外の大きな事故が起こることも実際に見ている。

そのような時、怪我の大小を分けるもの、場合によっては命を左右するものは、なんであろうか。

それは、車体の安全性、剛性、強度である。

 

 

 本来ならば粘りのある鉄で出来ているところを、FRPで修理していたらどうなるだろうか?

その部分は衝撃吸収として粘ることなく、バキバキと割れて壊れるのではないだろうか。

もし、それがモノコックボディのクオーターパネルや、サイドシルパネルだったら、どうなるだろう。

乗員にどのような被害が及ぶのか、想像して考えて見て欲しい。

同じ事故でも、修理方法によって受ける被害の大きさに違いが出てくるのではないだろうか。

それが、もし、生きるか死ぬかの境目となるような事故であったならば、なおさらだろう。

果たして、「外板パネルだし、部分的な修理だから大丈夫」などという説明で納得されることだろうか。

123便で亡くなられた520人の誰ひとりとして、強度不足の修理でいいから安くしてくれ、

とにかく早く飛んでくれとは言わなかったに違いない。

この怒りを、この悔しさを、この無念さを、この悲しさを、私は、私のフィールドである自動車修理業界に生かしていきたい。

少なくとも私と関わりをもつ人たちに対しては、これからも安全性を優先した修理方法をアドバイスしていく。

これが私の置かれた立場で出来る、せめてもの弔いであるだろうと、残骸を前にして強く感じた。

また、もしも事故の原因が過去の修理による不具合ではなく、他に原因があったと究明されたとしても、

そもそも不完全な修理に起因するなどと推定されやすい企業風土が培われないよう日頃から気をつけておきたい。

自動車修理は飛行機ほどの安全性が要求されるものではないのが実状だが、けして無関係ではない。

飛行機もクルマも、人の命を乗せて動く乗り物なのだ。

 

 

 

 「安全が、すべてに優先する」

今さら、こんな当たり前のことを書くのも馬鹿らしい。

だが、原点を見失い、「安全」をタテマエの言葉遊びにしている、その軽んじられた無関心さがあるのではないか。

私は今、展示されていた123便の残骸と遺書を思い出し、ずっと涙を流しながらこの文章を書いている。

振り返れば、この123便の展示を見るまでは心が揺れていた時期もある。

『時代の要望、「安さ」に応えること、それが勝ち残っていけるプロというものだろう』

『職人とは、依頼された仕事に主観を挟まずサッサと完成させるもの。芸術家やアーチストじゃないんだ』

『世の中、金でしょ。金くれれば別にどうでもいいんじゃない』

こういったことを耳目にする度に反発心を募らせ、年甲斐にもなく感情を露にし、

自分の置かれた場の不快さに苛立っていたこともある。

しかし、それぞれの会社の経営方針、職人それぞれのモノの考え方、それらを否定せず平等に認めるべきとの

スタンスを自分に課してきた。

だから、これが正しいとか、こうあるべきとの決め付けるような言明はなるべく避けてきた。

しかし、123便の残骸を目の当たりにしたいま、それは止めにする。

もう一度、繰り返して言う。

「安全が、すべてに優先する」

クルマのボディ、骨格は、エアロパーツじゃない。

見てくれよりも、乗員を守るという決定的に重大な役目を担っている。

どうしてもコストダウンのために何かを省かなければならないのだとしたら、板金工程ではなく塗装工程の方で省くべきだ。

錆や腐食、凹みでパネル交換が望ましいのならば交換をし、鉄板の切り継ぎや板金が適切ならば、そうする。

但し、メーカーが推奨する修理方法、溶接方法を基準にして行うことだ。

塗装は、あえて極端なことを言わせてもらえば、テープなどの異素材貼付けとパテ形成、塗装だけはしっかりやるという

修理方法よりも、板金工程はしっかり行い、塗装は、それこそホームセンターの500円の缶スプレーでも吹き付けて

納車するほうが安全上は、よっぽどマシな修理方法だ。

自動車修理とは本来、メーカーの推奨する方法が基本であり、そこから外れるイレギュラーな独自手法を

薦めるのならば、その理由、メリットだけではなくデメリット、リスク説明もすべきである。

123便墜落事故の原因とされる修理方法が、まさにこれである。

隔壁損傷の修理において、ボーイング社から日本に派遣された作業員が、ボーイング社が規定した修理方法とは異なる

強度不足の修理方法を実際の修理現場では行い、そして、墜落したことによって、そのことが発覚した。

では、なぜそのような独自の修理方法を行ったのか?

そこが不明であるから、どこかスッキリしない胸のつかえが残るような感じをさせてしまうのではないだろうか。

前もって、お客さんにきちんと説明しておくことは、お客さんの為になるだけでなく、自分自身(会社)を守ることにもなる。

先に書いたことを繰り返すことになるが、常日頃から誤解や疑いを持たれない作業、経営方針を定めておきたい。

「リスク説明?そんな大げさな。まともに説明なんかしたら、それじゃあ、お客が逃げちゃうよ」などというのであれば、

一度この123便の展示を実際に見に来られるといい。

自動車修理業にも通じる、学ぶべきところのある事例だと、心の底から震えるように感じることできるだろう。

 

 

 自動車修理において、真にお客さんのためになることとは、いったい何であろうか。

それは、本当に安くしてあげることなのだろうか。

それは、本当に早く納車してあげることなのだろうか。

生き馬の目を抜くビジネスではあるが、命を守ることによって成り立つビジネスである。

520の魂が遺してくださったこと。

それを私たちは、けして忘れてはならない。

 

 

 

 

T H E   E N D

 

 

 

 

 

 

 

文中のボイスレコーダー、ご遺書の記載は完全な引用ではありません。

安全啓発センター展示室にて筆者の感じた記憶を元に書いおります。

掲載のジャンボ747(白黒写真)は、在りし日の123便(JA8119)、そのものです。

たいへん貴重な写真であり、この度、版権者様の許諾を得て掲載しております。

その他の掲載写真はイメージであり、123便(JA8119)とは関係のないものです。

 

 

 

 

 

Dedicated to the all passengers of JAL123.(JA8119)

 

May your soul rest in peace.

 

 

 

 

 

参 考

 

日本航空安全啓発センターhttp://www.jal.com/ja/flight/safety/center/

(2006年4月より一般公開 / 要予約 / 展示室内撮影不可)

 

 

CVR実音声(ボイスレコーダー)は下記のサイトを参考にさせていただきました。

http://www.youtube.com/watch?v=bzwQO2TtXzw

 

 

 

 

   ◇ あ と が き ◇

 

 展示室を後にし、三人でターミナルに戻る。

展望デッキからの夜景は素晴らしく美しい。

飛行機が一番色っぽく見える時であり、官能的な雰囲気に包まれるように感じる。

つくづく思うことは、飛行機は旅する人の夢を乗せるものということだ。

旅。

今日、私は飛行機に乗ってはいない。

ただ見に来ただけだ。

しかし、気分は、これから旅に向かうかのように高揚している。

いや、たぶん、もう向かっているのだ。

飛行機には乗らずとも旅へと向かう。

旅立。

その意識の投影として、今日、私は空港に来ることになったに違いない。

悲劇に心を痛め、官能的な夜景に酔い、広がる思いに身を委ねた。

きっと、いつもの明日は、また違った明日になるのだろう。

 

 

偶然の必然。

不思議な実感を重ねてきた。

なにせ、かなり前から誘われていた、この123便のことが、なぜこのタイミングで実現されたのか。

つながりのある流れのようで、意味がありすぎるということに身震いしそうなくらいだ。

断片的のように思えた出来事も、実はストーリーとして成立していた。

それにしても空港に来ると、こうも感傷的になってしまう。

夜景撮影に対応する高感度なカメラがあるように、感じる感度が高くなってきているのかもしれない。

空港趣味。

果たして、趣味と呼んで良いものかどうかは、よくわからないが、好きで私が勝手に作った。

要は空港内をブラブラと散策し、飛行機の離着陸を眺めながら、お茶するというだけのことだ。

今日、羽田空港に集った三人。

縁あって、でも、たまたま導かれた空港趣味の三人、とでもしておこうか。

それぞれが異なる所で異なる生き方をしているけれど、しかし、向かっている方向は、どうやら同じみたいだ。

今日の日の出会いを感謝している。

ありがとう。

 

 

 

Auto Repair Gallery yoshihisa style 2013 Extra Edition

 

 

Presented by yoshihisa style.com

 

 

 

 

S p e c i a l  T h a n k s

 

 

 

Thank you for precious photos of 747 JA8119.

and....JAL (Japan Airlines)

 

 

 

 

Thank you for 747 photos and more...

Adviser of aeronautical technology.

 

 

Thank you for your playing music CD.

I feel better whenever I listen to your playing piano.

 

 

Location

 

At Haneda Airport,Terminal Restaurant KIHACHI.

 

2013. 03. 22.

 

 

 

Produced by yoshihisa

 

Thank you all.

 

 

Where there is hatred, let me sow love.

where there is injury, pardon;

where there is doubt, faith;

where there is despair, hope;

where there is darkness, light;

and where there is sadness, joy.

By Saint Francis of Assisi

 

 

 

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