BNR32 SKYLINE GT-R
R O O F P A N E L
DOOR HINGE
H O O D H I N G E
R32スカイラインGT-R、20年経過。
野ざらしで保管してあれば、なおのこと。
フードヒンジ取付け部の錆修理を紹介しておこう。
切開をし、内側の錆を取り除く。
そして、錆で薄くなったパネルを作り変える。
と、いうこと。
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LEFT, REAR FRAME
牽引フック付け根に亀裂あり
RIGHT, REAR FRAME
過去修理跡で違和感を感じる部分
MEASURING
計測
リヤ廻りは過去の事故修理歴があり、今回、あらためてボディ寸法から見直す。
パネル合わせ目の錆。
過去に甘い防錆処理で、ガス溶接もしくはMIG溶接を行った。
その結果である。
時代の要望
経営効率の常識
お客様のニーズ
コスト重視
スピード重視
それを叶えた典型的な修理方法。
リヤセクションは、フロントセクションよりも軽視されがちな部分である。
それは、リヤにはステアリング装置がなく、走りへの影響度が低いと見なされているからだ。
しかし、実際は違う。
リヤセクションは修理完成後の走行安定性に大きな影響を与える。
シビアな乗り方をするオーナーでなくても、その乗り味を体感できるほどに。
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FRONT FRMAE 〜 FLOOR FRAME
R32〜R34に共通する事例。
下回りの突き上げでありがちな損傷。
引き出せれば良いが、いかんせん固い所なので、形を崩さず綺麗にとなると難しい。
もちろん、見てくれだけで良ければ、パテ盛り形成で誤魔化すこともできる。
古めかしい技法、ハンダ盛りも「盛る」という観点においては、また然りである。
何かを「盛る」という方法は、少なくともこのようなケースには必要がない。
では、どうするか?
ILLUSION TECHNIQUE
世界的なイリュージョニスト、プリンセス某のショーからヒントを得たテクニックだとか・・・
ま、それは冗談として、修理後の形はこのような感じとなる。
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FRONT SECTION
フロント廻りにも同じく過去の修理歴がある。
オーナーの感覚では走行上の不具合を特に感じる程ではないとのことであったが、
念のため、ボディ・フレーム寸法から見直していく。
右フレーム 左方向に2ミリ
左フレーム 左方向に6ミリ ・ 下方へ4ミリ
こちらも合わせて修正をしておく。
コアサポート交換
フードレッジ交換
フロントフレームアウター交換
リヤホイールハウスインナー交換
ルーフパネル交換
ROOF PANEL
WELDING OF ROOF PANEL
ボディ剛性向上の定番方法。
「スポット増し」
このクルマの外板パネルには、それをあえて行っていない。
なぜか?
それは溶接点数を増やすことだけが、剛性アップの方法ではないからである。
その代わりに、1点あたりの溶接面積を25%大きくしてある。
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PAINT
塗装工程
オリジナルに拘らない 全面艶有り仕上げ
錆びの酷かったヒンジ部分。
車高を下げ、アライメント調整。
走行テストを経て完成となる。
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S T O R Y O F
L A S T S I L V E R W O L F
長いようで短い間であった。
いま振り返って思うことは、突っ走ってきたな、ということだ。
命を落とすかもしれない程の大きな事故をしても前向きに生きようとする気概。
ひたむきに情熱を注ぎ続ける姿。
自分にとっての思い出深い大切なクルマであるとの拘り。
高価であっても、気に入ったモノを長く使い続けようとする価値感。
何度修理を繰り返しても付き合っていきたい・・・・。
大量消費経済、使い捨て文化の中においての逆行。
これもまた愛を感じる生き方になるものだろう。
修理完成後のクルマを通じて、オーナー同士の繋がりをたくさん見させて貰った。
憚りながらも、それは果たして事故が不幸な出来事だったのかと思わずにはいられない程に楽しそうであり、
幸、不幸をきめるのは出来事そのものではなく、その人なりの捉え方なのだと確信するに至った。
何のためにここまでやってきたのか、自分に問うている。
クルマが好きだったから。 それもひとつの理由ではある。
しかし、それがすべてでもないと、
いま、静かに感じ始めている自分がいる。
仕事とは、何かのきっかけであり、
しかしまた、それがすべてでもあったのだろう。
ゴールがあるかのように思い込んできただけで、
実際のところは、そんなものなど無いに等しい。
きりなく続く、縛られた日常のなかで、
でも、諦めたくはない一線があった。
わたしの夢と依頼者であるオーナーの夢。
その夢が重なりあっていたからこそ、
走り続けることができた。
語りあい、ささやかな喜びを感じあいながら。
過ぎ去っていく幾千の想い。
そのすべてをぶつけ、
しがみつく自我が燃え尽きるまで。
走り抜いていった最期に、わかったことは、
愛を知ること、すべてはそこから始まるということだった。
他人も自分も、また愛そのものであるなどとは気づくこともなく、
ただひたすらに燃え滾るエネルギーに身を任せていった。
それが私生活のみならず、仕事にも少なからず反映していたことだろう。
いま・・・・ ようやく、愛というものに意識を向けられる時がきたようだ。
辛さも喜びも、愛情も悲しみも、すべては自らの意識の反映であったと。
ここで再生し、旅立っていったものたちの溢れんばかりの輝きを思い返しながら。
L a s t S i l v e r W o l f
E N D
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2012 / 10 / 25
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