【魅せる自分 The life of my own.】

 

 

レースにゴールがあるように、試験には合格というゴールがある。

ある意味、セオリーどおりに運べば結果は出せる。

しかし、峠を走ることにゴールが無いように、教育にもゴールは無い・・・・・。

作業の現場から教育の現場へ。

生徒達に試験に受かる為のカリキュラムだけを教えるならばいい。

しかし、試験に合格してからあと。

若い彼らにとっての本当のスタートラインは、そこから始まる。

教師として伝えたいのは、むしろ作業現場で得たプラスアルファ。

これを伝えるには、話すことだけでは足らず、やって見せてもすべては伝わらない。

 

 

技術力とは何なのか?

皮肉なことに、生徒達に説いているはずが、

気がつけば自分で自分に問い続けていた。

知識か経験か。

それなりに歳を重ねてはきたが、伝える難しさがある。

若い彼らにとっては試験に受かることがすなわちゴールであった。

受かりさえすれば、後は仕事としてやっていける。

かつての自分にもそういう甘い考えがなかったとは言えない。

それゆえに力が入り過ぎ、オーバーヒート寸前の自分がいた。

 

 

チャンスという名の涼風がスーッと山間を横切る。

乗ってみようか、乗れるものなのか。

好奇心と、胸の高鳴りがシンクロする。

まだ見ぬ世界へ。

今から出来るのか、それはわからない。

不安が無いとは言い切れない。

しかし、今は迷いよりも好奇心が勝っている。

踏み込む時だ。

覚束なくとも、それが今の自分。

 

 

やって見せることが大事とはいうものの、

いくら懇切丁寧に指導したとしても、それでは伝えきれない。

真剣な表情も。

親身な言葉も。

伝えきれない何かがあるのだ。

それを自分の身体で掴んでみたい。

 

 

試験に合格すればいいというものなのか。

経験があればいいというものなのか。

圧倒的な技術力があればいいというものなのか。

自分よりも優れている人たちが転がっている。

そういう世界だ。

むしろ自分の人間的な非力さ。

それを魅せていく。

それが出来て初めて生徒達に「見せる」ことが出来るのではないか。

魅せられなければ、それは彼らの記憶深くに残らない。

 

 

レースにゴールがあるように、試験には合格というゴールがある。

ある意味、セオリーどおりに運べば結果は出せる。

しかし、峠を走ることにゴールが無いように、教育にもゴールは無い。

誰かが賞金を出してくれるわけでも、表彰してくれるわけでもない。

ただ、自分自身を深めていく小さな積み重ね、静かな愉しみがあるだけだ。

セオリーを上から示すよりも、愉しみつづけていく姿勢。

技術力の底流を穏やかに流れ続ける熱い何か。

もう一度、若い彼らに教える機会があるとしたら、魅せるのは、きっとそれだろう。

Speed Groove.

 

 

Special Thanks. Mr.N

Model. Toyota AE86 TRUENO

Story Editor. yoshi

(フィクションにつき本文と車両オーナーさんとは一切関係ありません)

   

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