【 The way we were 】
速いクルマが好きでGT-Rに乗っていた頃がある。
走るのが楽しくて楽しくて仕方がないほどだった。
しかし、走れば走るほど高速代、ガソリン代、オイル交換などメンテナンスのライフもすぐ来てしまう。
ノーマル状態を維持するだけでも本当は精一杯だったのだが、どうにも我慢が出来ず、勝手に昇給を見込んでローンを組む。
ブレーキ、サスキット、CPU、マフラー、タービン交換・・・。
向こう数年間のボーナスが全てクルマのパーツへと変わっていった。
走りに行く前のちょっとした作業、オイルの量、プラグの焼け、エアクリの汚れ、パッド残、ホイールの増し締め。
手間だけれど、そういう手順を踏むことが、かえって走りへ向かう気持ちを昂ぶらせ、
速さを追求するストイックさを演出し、GT-Rとの一体感に陶酔していった。
ブースト圧を上げたエンジンは、その隠れた本性を現し出し、かつて味わったことのない異次元の領域へと誘い込む。
踏めば、即、猛加速。
先行していたポルシェが前を譲り、他のクルマは無造作に置かれたパイロンと化す。
工業地帯の明かりが飛ぶように過ぎてゆく。
GT-Rより速いのはGT-Rだけ。
命の鼓動を鋭利に尖らせてしまう戦うマシンであった。
ある日、頑張って維持しようとする、その意地に疲れが見えてきたと自覚をする。
クルマだけに興味の対象が絞れず、限られた資金の配分が悩ましくなってきたのだった。
結婚をし、子供が生まれ、仕事も忙しくなり、新たな領域へと視野が広まりつつあった。
一度、降りよう。
GT-Rを売却し、中古のメルセデスのワゴンを買った。
同じクルマという乗り物ではあるが、やはり性格は全然異なるものだった。
広くて快適。
子供が小さかったこともあり、車内でテイクアウトのランチを食べ、シートを倒して昼寝、オムツの交換まで余裕で出来た。
ただ運転は退屈だった。
もはやドライビングなどという言葉は消え、居眠り運転というものを初めて経験した。
緊張感が薄れてきたからなのだろう、あの命の鼓動が実感できるようなドライビング感覚は序々に忘れ、やがてどこかに消えて無くなっていた。
そして、そうなってはじめてパイロンにされた側のドライバーの怖さを知ることとなり、
いかに自分が無謀な賭けのような走りをしていたのかを身を持って理解した。
公道とは、老若男女、運転レベルの異なる人々が大小様々なクルマを走らせている道。
どういう意識で運転をしているのか、それぞれが自分の感覚、違う世界観に生きているところなのだ。
そこに善悪の感情や優劣の判断は存在しない。
そして、その気づきはクルマだけに留まらなかった。
子供がまだ小さく、自分たち親の所有物のように見えているうちは、そうは思えなかったが、
だんだんと子供の自我が芽生え、自分とも妻とも違う子供自身の個性が見え出し、
それぞれが独立した人格を持つ同じ人間同士なのだと思えるようになってきたとき、
子供には子供の人生があるのと同じく、自分には自分の人生があるのではないかと思うようになっていった。
親、学校、会社。
引かれたレールの上では、それなりに優等生であったかもしれない。
しかし、ある意味、言い換えれば、言いなりに育ってきた自分の結果が、今、ここにあるのではないか。
家族に不自由さを感じさせずに、この先も暮らし続けていけるだろうが、
どこかなんとなく満たされない思いもずっと持ち続けていくような気もしてならない。
もう一度・・・・・、命の鼓動を感じる時。
心酔できる時・・・・、やはり必要だ。
自分の人生には自分のレールが必要なのだと、一度降りたことによって、より強く感じてきたのだった。
持っているモノとして周りを見ればキリが無い。
かつての友人は、いま、ポルシェに乗っている。
旧いポルシェだがチューニングして結構カッコよく決まっている。
他人と比較をし、その妬ましさから思わず自分自身を見失いがちになってしまうが、目標設定をすれば、もっと頑張れるのか・・・・。
自分を見つめ耽っている時、思い浮かぶのは自分の為のクルマが欲しいということだった。
いままで見えてこなかったこと。
見せて貰えなかったこと。
見ようとしてこなかったこと。
それを原点ともいうべきところから取り戻したくなった。
張り合うこと。競うこと。どちらが上か下か。
かつて狂ったように入れ込んでいた勝ち負けの世界の対極。
ずっと他人にばかり向けていた視線を自分自身の側に戻し、自分が愉しめること、その世界に没頭してみたくなったのだ。
今まで特に気にしたこともない、自然の持つ生命感をダイレクトに感じてみるために走りに行く。
吹き去っていく風の温もり、肌を刺す冷たさ。
高原の澄んだ空気に包まれ、新緑、紅葉、落葉と移りゆく季節を感じる。
今までずっと無意識に感じていた、なんとなく満たされない思い。
それは、何か大きなモノ、大きな出来事を獲得することによってではなく、
たった、こんな身近なところで得られ、感じられることだった。
ようやく、自分の感性にあったクルマと出会えたような気がする。
将来はどうなるのか、それはわからない。
いつの日か、またGT-Rへと戻るかもしれないし、このままなのかもしれない。
でも、いまの自分には丁度合っている。
なぜなら無理を感じることがなく、解放された気分を味わえているのだから。
勝てないことに激しい悔しさを感じることはもうないだろう。
競う楽しみも知っているし、希少性や華麗さで得られる羨望も知っているが、
他人が何と言おうと、いまの自分にとっては、これがベスト。
クルマが、こんなにも愉しいものとは気づかなかった。
GT-Rは、それほど速かったのだ。
命が震えるほどの時を堪能してきたが、愉しむという言葉の余裕はそこになく、そして私の元からも走り去っていった。
Road Star に乗ることによって、かつての自分とGT-Rとの関係性がよくわかる。
いま感じているこの気持ちは、きっと生涯続く思いになるのだろう。
極限の速さの中で無意識に感じていたもの、それが私とGT-Rとの魂のやりとりだったのだと。
Speed Groove.
Special Thanks : R32GT-R Owner T.? Road Star Owner A.
Model : R32 Skyline GT-R. Mazda Road Star.
Photo & Story Editor : yoshi
(フィクションにつき本文と車両オーナーさんとは一切関係がありません)